名古屋地方裁判所 昭和48年(ヨ)68号 決定 1973年6月27日
主文
本件申請をいずれも却下する。
申請費用は申請人らの負担とする。
理由
一本件申請の趣旨およびこれに対する被申請人らの答弁は別紙第二のとおりである。
二申請人らの当事者適格ないし申請の利益。
被申請人ら両名はいずれも申請人らの当事者適格につき争うのでまずこの点につき判断する。
本件疎明によれば、申請人らはいずれも名古屋市立である東山保育園に在籍する園児であつて、右東山保育園の敷地(名古屋市千種区橋本町三丁目四番の二ほか、約一、六一九平方メートル)、建物、諸設備等はいずれも名古屋市の所有にかかり、その所管は同市民生局であることが認められる。
ところで、申請人らの本件仮処分申請の被保全権利はその申請の趣旨ならびに理由からいわゆる日照権に基づく妨害排除(差止)請求権であると解される。そしていわゆる日照権についてはそれ自体ないしそれに基づく建築工事差止請求の法的性質ならびに法的根拠につき種々の見解がみられるが、当裁判所は土地・家屋等に対する利用権または占有権の侵害としてとらえる物権的請求権と、人が心身ともに健康で快適な生活を営む権利を絶対権として把握し、それに対する侵害としてとらえる人格権とが複合したものであると解し、しかも後者をより本質的なものとして重視すべきものと解する。
とすると、前記のとおり申請人らはいずれも前記名古屋市立の東山保育園に在籍するものであるにすぎないけれども、申請人らの主張によれば、申請人らはいずれも二才から五才までの数年間日曜祭日を除く毎日午前八時三〇分ころから午前九時ころまでの間に登園し、午後三時三〇分ころまで日中における生活の大半を右保育園ですごし、しかも幼児保育において自然の日照は健康な心身の発育に不可欠であつて、右保育園においても一日約七時間の保育時間中約四時間ないし五時間の戸外活動をカリキュラムとしており、被申請人らの建築にかかる本件建物により右保育園の園庭は著しく日照を阻害されひいては申請人らの心身の健康および快適な生活を妨げるとするものであり、且つ本件疎明によれば右主張事実に関し、双方間に紛争の存することが明らかであり、さらに申請人らの日照阻害により蒙る不利益はその心身の健康という事後の金銭的補償では充分な救済を望みえない性質のものであることからすると、申請人らがいずれもときの経過により数年後には卒園していく点を考慮に入れてもなおその当事者適格ないし申請の利益が存するものと解するのが相当である。
三そこで進んで被保全権利について検討する。
(一) 本件疎明によると次の事実を一応認めることができる。
(1) 申請人らはいずれも名古屋市千種区橋本町三丁目四番の二所在の前記東山保育園に在籍する園児であるが、同園には現在二才児六名、三才児二〇名、四才児二八名、五才児二七名の合計八一名が在籍しているところ、右保育園には別紙図面(二)のとおりその敷地の北側部分に園舎とプール(大・小)があり、その余の南側部分約三分の二は園庭(屋外遊戯場)となつており、そこには数本の樹木と花壇があるほか、砂場、ブランコ・ジャングルジム・シーソー・すべり台・鉄棒等の遊具が備えつけられ、砂場の上には夏の強い直射日光を避けるための藤棚がある。そして右保育園は日曜祭日及び夏季冬季の休暇を除き毎朝午前八時三〇分に開園し、毎朝午前八時三〇分から同九時三〇分までの間に登園した園児は、午前一〇時の片付けの時間まで天気がよいかぎり園庭でそれぞれ自由にジャングルジム・砂場・ブランコ・すべり台・鉄棒等で遊び、片付けの終つた午前一〇時一〇分から同一〇時三〇分まで園庭で体操・行進・マラソン等を行ない、同一〇時三〇分から同一一時三〇分までは保育計画に基づき年令別にわかれてあるいは室内で絵を画いたり、製作をしたり、あるいは園庭で運動的な遊びをし、同一一時三〇分から同一二時まで手洗いや給食の準備をし、同一二時から午後一時まで給食した後、二才児、三才児は午後二時三〇分まで午睡する一方、四才児、五才児は年令別にドッヂボールやボールけり、砂遊びなどの自由遊びをし、同二時三〇分に片付けをしたあと同三時におやつを食べ、同三時三〇分ころ帰宅する日課を営んでいるもので、日中における大部分を右保育園で生活しているとともに、右保育所のカリキュラムの中において天気のよいかぎり二才児、三才児については一時間ないし三時間、四才児、五才児については二時間三〇分ないし四時間三〇分にわたつて園庭を使用して戸外における自由遊び等を通じて保育がなされていること、そして幼児の保育は年令による発達程度の違いからそれぞれに保育内容は異なるけれども、運動機能の発達は運動の機会が与えられたかどうかに大きく関係し、また一般的に精神機能の発達にも関連を持つところから乳幼児期には運動の機会を多くし、また幼児はいずれも「遊び活動」を通じて知的、情緒的、社会的な発達を遂げるものであるところから、幼児保育において明るく広い「遊びの場」の設定は重要である点を考慮して、右保育園においても右に見た如くカリキュラムの上においてもその大きな部分を園庭を利用しての「遊び活動」に使つている。そして従前右保育園の南側に接する土地には右保育園の園庭に達する日照を妨げる高層建築物は存在せず、申請人らはいずれも右保育園において十分なる日照を享受していたものである。
(2) 被申請人大栄興業株式会社は右東山保育園に概ね南接する別紙物件目録記載(一)ないし(三)の土地(いずれも宅地、合計面積866.10平方メートル、同目録中(一)、(三)の土地は被申請人大栄興業株式会社の代表取締役野呂栄三個人の所有、同(二)の土地は右野呂栄三とその家族の共有である)に北(右保育園)側境界線の形に応じて同境界線に約五〇センチメートルないし二メートル程度の間隔をあけてほぼ近接して南北約一〇メートルないし7.75メートル、東西約22.10メートルの東西に長いやや変形した次のような規模内容の賃貸用共同住宅(マンション、以下本件建物という)を建築してこれを賃貸することを計画し、昭和四七年八月一六日名古屋市に建築確認の申請をなし同年一〇月一一日その確認を受けたうえ、被申請人日本国土開発株式会社とその建築工事の請負契約を締結した。
1 構造 鉄筋コンクリート造四階建
2 建築面積 279.09平方メートル
3 延べ面積 1,078.43平方メートル
4 建物の高さ 12.10メートル(但し屋上に高さ1.20メートルの網型フェンスがある)
(3) 本件建物は右のとおり私人所有のマンションであるが、一応社会的効用を有する建物であるということができる。
(4) 前記東山保育園および本件建物の敷地である名古屋市千種区橋本町三丁目四番の二、同二三番の二、同二五番、同二六番の各土地は名古屋市の中心部から東方に位置し、栄今池を経由して東名高速道路名古屋インターチェンジに至る東山通りの北側約五、六〇メートル、地下鉄東山線本山駅から東北東約二〇〇メートルほどの交通至便な住宅地にあり、建築基準法上の住居地域に属し、右地域指定が近い将来他に指定替されるような状況にはなく、しかも名古屋市の定めた高度制限地区にも指定されておらず、右東山通りに面した地域(近隣商業地域)にも極めて近い位置関係にある。
他方右土地付近一帯は未だ高層化の傾向はそれほど顕著にはみられず、わずかに道路をへだてて東南方向に三階建の校舎(名古屋市東山小学校)と本件建物の敷地のすぐ西側に四階建の共同住宅(マンション)が建つているのが目立つ程度で、他は平家ないし二階建の一般住宅が殆んどであるが、しかし右土地付近は名古屋市の中心部に比較的近接していることから近い将来更に建物高層化の傾向が進み、高層建築物が建てられるであろうことは容易に想像することができ、さらに現時点においても本件規模の建物の建築がその環境に格別そぐわない高層建築ということはできない。
(5) ところで本件建物の敷地は前記のとおり住居地域に属するから建ぺい率は六〇パーセント、容積率は二〇〇パーセントに制限されているところ、右敷地には本件建物の他、被申請人大栄興業株式会社の事務所木造亜鉛メッキ鋼板葺平家建、床面積36.65平方メートルおよび同被申請人会社の代表取締役野呂栄三所有の鉄筋コンクリート造陸屋根二階建居宅、床面積一階135.49平方メートル、二階98.58平方メートル、その他車庫等が存し、その建築面積を合計すると右建ぺい率容積率の制限の範囲内ではあるがしかし建ぺい率についてはその制限ぎりぎりの五六パーセントの限度で設計されているということができる。そして本件建物のその敷地に対する配置の計画は前示および別紙図面(二)に示すとおり前記野呂栄三の居宅の存在もあつて本件建物の北側外壁から右敷地の北(東山保育園)側境界線から最も長いところで約二メートル、最も短かいところで約五〇センチメートルであつて、本件建物はその敷地の北側境界線いつぱいに建てられることになり、他方本件建物の南側は一般住宅ならびに前記野呂栄三の居宅のため殆ど余裕がなく、本件建物の配置を変えて北側境界線までの距離を長くする余地は全くない。そして本件建物の建築工事は昭和四八年六月一五日現在既に四階部分のコンクリート打を完了した段階であつて、以後も進捗中である。
(二) 本件建物が前記東山保育園におよぼす影響
(1) 保育園における幼児の保育にはその心身の健康を維持発達させるうえで明るく広い「遊びの場」―園庭―の設定が重要であることは前説示のとおりである。
(2) ところで疎明資料(方位の点は申請人ら提出の甲第八号証に従う)によれば、本件建物―その最高高さは前説示のとおり12.10メートルであり、屋上北側の網型フェンスはその構造上から、そして水槽はその設置位置によつていずれも申請人らの日照に影響を与えない―の右東山保育園におよぼす影響は次のとおりである。
すなわち、年間を通じて一番太陽高度の低い冬至(名古屋市においては冬至の正午において三一度五分である)において、日の出から午前八時ころまでは右保育園の園庭の南西のごく一部を除き園舎および園庭は十分の日照を受け、その後は徐々に本件建物の陰になるが、それでも午前九時には園庭の南西部分を除く三分の二の部分において日照を受け、午前一〇時には園庭の約二分の一の部分が本件建物の陰となり、午前一一時には園庭の東側部分を除く約三分の二の部分が陰となるが、それでも園舎にはその西側遊戯室を含め十分の日照があり、午前一二時には園庭は東側の一部を除き五分の四程度は陰となるが、なお園舎は十分の日照を受け、午後一時に至り園庭は東側のごく一部を除き殆どが陰となり、園舎の西側遊戯室の一部も陰となるが、右園舎の高さを考えると未だ殆ど影響は見られず、午後二時には園庭は西側約四分の一程度を除き殆ど、そして園舎南側のテラスおよび西側遊戯室の一部も陰となり、午後三時には園庭は勿論、園舎の南側テラス、東側乳児室および保育室もその殆どが陰となり、ようやく西側遊戯室が日照を受けることができるにすぎなく、それ以降は徐々に園舎を含め園庭もその西側部分から日照を回復しうるに至る。
以上によれば、園庭における日照は日の出から午前一一時までにその約三分の一程度の日照を確保できるとはいえ、従前に比べその範囲は半減し、午前一二時にはその大部分が陰となりその状態は午後二時以降西側部分から徐々に日照を回復するに至るまで継続し、また園舎においても午後一時以降西側遊戯室、南側テラス、東側乳児室、保育室と順次徐々に陰となり午後三時以降西側遊戯室に再び日照が戻るまで右状態は継続する。これらの日照状況が一年のうち最も日照条件の悪い冬至におけるものであることを考慮しても、日照を阻害され被害を蒙る者が二才から五才までの保育を要する乳幼児であることを考慮すると、本件建物の建築により冬至前後二、三ケ月間は申請人らの保育されるべき生活環境が劣悪化し、申請人らにかなりの精神的肉体的苦痛を与えるであろうことは容易に想像しうる(別紙図面(三)(日影図)参照)。
(三) 当事者双方の交渉の経緯ならびに被申請人らの害意について。
本件疎明によれば次の事実を一応認めることができる。
(1) 被申請人大栄興業株式会社は当初別紙物件目録記載の土地上に鉄筋コンクリート造五階建(最高高さ14.89メートルと推認される)の共同住宅(マンション)を建築すべく昭和四七年八月一六日名古屋市建築局に対し建築許可申請をしたところ、右計画を知つた前記東山保育園の保母および保育園児の母親達が東山保育園母の会と東山保育園太陽を守る市民の会を結成するなどして、右被申請人大栄興業株式会社の代表取締役野呂栄三に対しあるいは名古屋市当局(市長、民生局長、建築局長、市議会)および右建築工事を請負つた被申請人日本国土開発株式会社に対しそれぞれ建築反対の意向を伝えたうえ、保育環境を維持するため敷地の換地ないし買い上げ案などを要請あるいは請願するなどの活動を行ない、その故もあつて名古屋市当局としても容易に右建築確認申請に対し確認通知書を交付し得ないでいたが、右東山保育園の所有者ないし管理者として直接の当事者ともいうべき市当局と被申請人大栄興業株式会社との交渉の結果右被申請人において当初の五階建の計画を四階建に変更することに同意し、昭和四七年一一月一一日、市建築主事は右設計変更された本件建物の建築に対し確認通知書をようやく交付するに至つたものである。
(2) 加えて前記東山保育園は現在地はおいて昭和二六年ころ開園し以来現在に至るものであるが、一方被申請人大栄興業株式会社の代表取締役野呂栄三およびその家族は別紙物件目録記載(二)、(三)の各土地を昭和二六年八月ころ取得したものであり、且つ右野呂栄三はその子弟を右東山保育園に入園させていたこともあつてその存在は十分知つていたものではあるが、右事実だけからは未だ右野呂栄三が申請人らの日照を妨害することを意図して本件建物を建築しようとしているとは認められず、しかも被申請人大栄興業株式会社が本件建物の建築による右東山保育園の日照阻害が大きな社会問題となるや、前記のとおり名古屋市当局の指示に従い、当初の計画を一階削減し譲歩したものであつて、右事実関係に照らすと被申請人らに申請人らに対してその日照を阻害する害意をもつて本件建物を建築しているということはできない。
四差止請求の当否。
(一) 人間は本来太陽や水、空気等の自然的資源を不可欠のものとしてその生活を営んでいるものであるから、その心身の健康と幸福な生活のためには日照、通風の確保は必須の生活利益であつて、その利益は法的保護に十分値いするものである。そしてこの利益が他人の建造物の建築により侵害された場合には、その侵害の程度・態様および社会性、当該居住地域の環境ならびに地域性、土地利用の先後関係、建築基準法等基準法令の遵守性、当事者双方の利害、その他諸般の事情に照らしてその程度が社会通念上受忍すべき限度を越えていると認められるかぎり、加害者に対し妨害の排除(差止)を請求し得べきものと解される。
(二) そこで前記疎明事実に照らして本件につき検討するに、
(1) 本件建物が建築されるとこれまで享受して来た申請人らの前記東山保育園の園舎における日照が冬至において日の出から午後一時までと、午後三時以降にかぎられ、また同保育園の園庭における日照が日の出から午前一一時まではその東側部分約三分の二ないし三分の一と半減し、午後二時以降西側部分が徐々に回復するにすぎなくなるが、一面春分以降秋分までの間は夏至を最高にして相当量の日照が依然確保できること。
(2) 申請人らはいずれも日中の大半は右東山保育園において生活し、右保育園は申請人らにとつてまさに生活の場であることおよび保育園児にとつて明るく広い「遊びの場」はその心身の健康のため重要であつて従来右保育園においても右趣旨によりカリキュラムのうえからも園庭を利用して保育にあたつて来たことは前示のとおりであるが、前記日照の程度に対応した園舎および園庭の利用をカリキュラムの上で考慮することにより右影響をある程度減少し得る余地が存すると考えられること、
(3) 右東山保育園および本件建物のある付近一帯は建築基準法上の住居地域に属するが、高度制限地区の指定もなく、近くには名古屋市の幹線道路もあり、近隣商業地域にも近く、将来建物高層化の傾向が一層進展するものと想像されること、
(4) 本件建物は私人所有のマンションであるが、一応社会的効用を有するものと解され、建築基準法等の基準法令に適合する建物であつて、その南側にも他の建築物があるためその配置を変えて北側境界線までの距離を長くする余地がないこと、
(5) 被申請人大栄興業株式会社は当初五階建の建築を計画したが、右保育園に対する日照阻害が問題となつた後、名古屋市当局の指示を受けて四階建に設計変更したもので、ことさら申請人らの日照を害する意図をもつて本件建物の建築を計画したものとは認められないこと、
以上の諸事情を考慮すると、本件建物の建築による右程度の日照の阻害は、未だ申請人らの受忍すべき限度を越えているとは認め難いものと考えられる。してみると違法な日照妨害として本件建物の全部ないし一部の建築禁止及び建築部分の一部撤去を求める本件仮処分申請は結局被保全権利について疎明がないことに帰し、また保証をもつて右疎明に代えることも相当ではないので、その余の点につき判断するまでもなく失当としていずれもこれを却下することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九三条を適用して主文のとおり決定する。
(山田正武 宮本増 長島孝太郎)
別紙第一 当事者目録
申請人 奥田信
外七五名
右申請人ら代理人 大脇雅子
外一〇名
被申請人 大栄興業株式会社
右代理人 渡辺門偉男
外二名
被申請人 日本国土開発株式会社
右代理人弁護士 伊東富士丸
外二名
別紙第二<略>
図面<略>